『処女神 少女が神になるとき』

著者:植島 啓司

出版社: 集英社

発売日:2014/7/25

 

ネパールで崇拝される生き神・クマリ。
仏教カーストから選ばれた少女が、初潮を迎えるまで神としての務めを果たす。
3、4歳ほどの彼女の祈願や予言に人々は耳をそばだてる。彼女の前ではヒンドゥー教徒の国王もひれ伏し、ティカ1を授かる。

神の子、クマリ

子供に聖性や神性を見出す文化は、ネパールに限らず、世界各地で見つけられる。
日本においても、「七つまでは神のうち」などと言われる。
生まれてからある瞬間を迎えるまで子供は神様の世界に帰属していると考えられるのだ。

ただし、クマリは人間に戻るまで神としての生活を強いられる。
学校にも行けないし、不浄の大地に足をつけてはいけないので、クマリハウスに囲われる。

世界宗教である仏教、ヒンドゥー教がネパールに流れ着き、様々な神の形質を受け継ぎながら顕現したクマリ。
その由来。
なぜ神性を持つのに処女でなければならないのか。
聖母マリア、観音菩薩、カーリー、アヴァロキテシュヴァラ、マチェンドラナート…
クマリから見え隠れする東西の神の姿を、著者は掴もうとする。

緩やかに流れるフィールドワークの思考

本書では、宗教人類学者である著者がネパールのカトマンズ盆地で行った30年以上にわたるフィールドワークの一部がエッセイ風に語られる。
著者が実際に立ち会ったインドラジャトラ2の熱量、ネパールの風土や”元”クマリとその家族との交流が綴られる合間に、クマリへの考察が挟まれる。

ときに、処女の持つ神性、少女であることの意味を映画『ロリータ』3や『エコール』4、小説『百年の孤独』5を引きながら。

フィールドワークが避けて通れない主観性を省みるに『幻のアフリカ』を引きながら。

ヒンドゥーの神のルーツ巡りには、『インド夜想曲』6を話の端緒として持ち出す。

「謎を解き明かそうとして、かえって謎を深めてしまう」という著者の自覚がそのまま投げ出されたように、思考は寄り道を重ね、クマリの伝説と実際の間を周遊する。
ひとつ、結論めいたものがあるとすれば、処女であることは「何もない(イノセンス)」ゆえに、神の容れ物となることが可能なのではないかということだが、はたして。

著者が結論を急がないように、われわれもまたクマリの周りをうろつくしかない。

  1. 額につける赤い印。祝福の印
  2. インドラを祀る祭り。その実際は、クマリが主役に据えられている
  3. ウラジミール・ナボコフの同名小説を原作とする。スタンリー・キューブリック版(1962年)とエイドリアン・ライン版(1997年)がある
  4. ルシール・アザリロヴィック監督。フランク・ヴェデキントの小説『ミネハハ』を原作とする
  5. ガブリエル・ガルシア=マルケスの小説
  6. アントニオ・タブッキの小説