『吸血鬼』

 

著者:佐藤亜紀

出版社: 講談社

発売日:2016/1/26

 

人の血を啜る怪物、吸血鬼。
古くは民間伝承から現代のキャラクタービジネスまで、時代を超えて語り継がれるモンスターの代表格だ。
最も有名な吸血鬼「ドラキュラ」のモデルがワラキア公国君主ヴラド・ツェペシュであることは広く知られており、ともすれば東欧は吸血鬼の本場という感がある。
本書『吸血鬼』の舞台は19世紀半ばのポーランドである。
であれば、やはりゴシックの系譜に連なる怪奇幻想小説を期待できるのではないか…
しかし、豊富なイメージとポリフォニックな語りにより編み上げられていたのは、酷薄な現実だった。

人、土地、因習の影に潜む”ウピール=吸血鬼”

物語はオーストリア領ガリチア、その田舎村に新任役人ヘルマン・ゲスラーが妻と連れ立って赴任するところから始まる。
土地の領主は、かつて詩人としても知られたアダム・クワルスキ。
中央から派遣された官吏と、強国の支配下で骨抜きにされつつある地方の士族という図式。
かつては文学青年であったゲスラーは詩人としてのクワルスキに敬意を払うが、対するクワルスキは鷹揚な士族を演じながらも支配国の官僚に憎しみを抱く。
一方、村では子供、妊婦の”怪死事件”が相次ぐ。
不幸が重なり迷信が現実味を帯びる。死者は吸血鬼<ウピール>によって殺されたのではないか。
ウピールの犠牲者ならば、首を刎ねなければならない。墓から甦り、悪さをするから。
高まる村人の不安を受けて、対策を迫られるゲスラー。傍らでは妻が身籠っていた――

 

怪異としてのウピールが読者の前に姿を現すことはない。
だが、ウピールを「人の血を啜る=上前をはねる」怪物とするなら、象徴となる人物は作中のいたるところに見つかる。

 

前近代的な因習に囚われる農村世界の蒙を啓こうとするゲスラーと、領地を囲い込み”農奴”を使役するクワルスキは一見対比される立場にあるが、ポーランドの地にとっては二人とも”ウピール”だ。
皮肉にも、このことはもう一人の”ウピール”である密猟者に指摘される。

 

あれはなんか変な夢を見てる人だ言うのは、姿見るだけでわかります。宗旨も違えば言葉も違うのに、おれたちはぽおらんど人だぁ、言うのも知ってます。村役人だの郡のお役人だのは余所者らぁ、言うのも知ってます。余所者を追い出せぇ、言うのも知ってます。だあども、御自分も余所者、いうことはころっと忘れてるんじゃねえですかの。銭出して買うたか偉ぇ人に貰うたか知らんけど、何百年か前にやって来て、ここは俺の土地だ言うて囲い込んで、中の人間は全部俺の農奴だ、言うて働かせて、そら昔は景気も良ぇてなんかの御利益もあったかもしんねろも、今はしんどいばっかだ。

 

土地を分け与えられたらどうかね、と問うゲスラーに対し、密猟者は土地よりも銭だと返す。
銭さえあれば、土地でも人でも(!)好きなものを買って好きな仕事をすればいい。
教育を受けず、自らの冷徹な分析のみで密猟者は資本の支配を予見する。
自らの”密猟者的思想”をも、密猟者は皮肉る。

 

おれが死んだら首は刎ねてくんなせの。間違い無ぉウピールだすけ。

 

あるいは農民の娘として生まれ、クワルスキに娶られたウツィアもウピールかもしれない。
夫より現実的に、領地の作高を増やし生活水準を上げることを望む彼女は、ゲスラーに取り入り、役所とのパイプを作ろうとする。
彼女の構想には、農地と人手を借入れ経費を抑え、利益率の良い作物を育てるビジネスがある。
借り入れた”非正規”領民は夜通しの世話が必要となる甜菜のための農作業に充てるという。
クワルスキが文学、民族主義の夢想に生きるお飾りの領主であるならば、その妻は実務に長けた分、より悪辣なウピールとしての役割を遂行する。

生き血を啜るのは誰か、啜られるのは誰か

国家と民族、資本主義と労働、男と女、政治と文学…
19世紀半ばのオーストリア領ポーランドは、新旧の枠組みが対立する変動期にあった。
それゆえ、『吸血鬼』に描かれるきわめてローカルな事件においても、人々はなにがしかの立場を選び、過去とともに朽ちるか、食うか食われるかの未来に生きるかを決めなければならない。
結末に至るまでの皮肉な成り行きは、現代の我々にとっても居心地の悪い反響となって届く。

 

ニンニクで撃退できる凶兆ならば幸いである。
読み終わり首元に手を当てれば、ウピールの牙を感じるような小説だ。